不定期記事「探索者」

作成日:2016/01/04
最終更新日: 2018/03/31
作成者:しんどうまさゆき

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英語の数の数え方(英語の数体系)の不規則性について、質疑応答形式で情報の整理と考察のまとめを行いたい。

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英語の数体系(「思索の遊び場」中記事)

1から100までの英語の数詞は上掲のページに列挙されている。1から10までと、20から100までは日本語の数体系に似ており、違和感は少ない。しかし、11から19までが奇妙だ。英語学習者をはじめとして日本人の多くは、この範囲の数詞について「なぜ日本語のように、1から100まで統一的で規則的な表現をしないのか?」と疑問を抱くだろう。この疑問を分析すると、概ね3つの疑問が展開される。以下に3つを列挙する(その他の疑問を抱かれた方は私にご紹介下さい。今後の研究材料にしたいと思います)。

・問1、11、12が eleven, twelve になるのはなぜか。ten one, ten two や oneteen, twoteen でも意味が通じるのではないか。

・問2、13から19までが thirteen から nineteen といった teen の語尾がつくのはなぜか。ten three, ten nine とするか、あるいは eleven, twelve にならって three-ven, nine-ven になっても意味が通じるのではないか。

・問3、13から19までが thirteen から nineteen といった「1の位+10の位」の順番になり、ten three, ten nine や teen three, teen nine といった「10の位+1の位」の順番にならないのはなぜか。

各々の問について、私なりの回答を以下に挙げる。

<問1への回答>
問1、11、12が eleven, twelve になるのはなぜか。ten one, ten two や oneteen, twoteen でも意味が通じるのではないか。

eleven, twelve の語源を遡ると、eleven は昔 ainlif, twelve は twalif と言った。それぞれ「1余り」「2余り」を意味するという。

十二進法 2.1 数詞(Wikipedia)

上掲のページから引用する。「(英語をはじめ、ゲルマン語派の)11, 12 の数詞の語源はそれぞれ 1 余り、2 余りを意味する *ainlif, *twalif であり、十二進法ではなく十進法に基づく数詞だが、13 以上と構成が異なるのを十二進法の影響とする説がある」。

以上の説明を私なりに掘り下げてみる。ainlif, twalif には10を表す要素がない。このため、十進法に基づくのか、十二進法に基づくのか不明瞭な語と言える。あるいはいずれにも解釈できる語だと言ってもいい。「(10が揃って)1余り」「(10が揃って)2余り」ととれば十進法に基づく表現だし、「更にひとつ」「更にふたつ」ととれば十進法に基づく感じが弱まる。そのため、相対的に十二進法が意識されるようになる。「更にひとつ」を「さらひと」、「更にふたつ」を「さらふた」と名付けて、「じゅういち」「じゅうに」を使わないという決まりにすれば、十進法が繰り返されないため、十二進法の独特の語だという印象が強まる。ainlif, twalif の語感を日本語に置き換えるならば、以上のようになるだろう。

ten one, ten two や oneteen, twoteen でも意味が通じるという主張は、理論上はまったくそのとおりだ。十進法で統一された呼び方が適切だという論理はもっともな論理だし、実際そのような言語がある(中国語、日本語、ウェールズ語など)。

ウェールズ語の数体系(新式)(「思索の遊び場」中記事)

上掲のページにウェールズ語の数体系が紹介されている。ウェールズ語はイギリスのウェールズ地方で使われている。アングロ・サクソン人(英語話者)よりも早くブリテン島に移住してきた、ケルト人の言語だ。ウェールズ語と英語は遠い親戚関係にあるのだが(両者はインド・ヨーロッパ語族に属する)、最近のウェールズ語では「じゅういち」「じゅうに」「じゅうさん」のような日本語的表現になっている。

将来、英語の数体系がウェールズ語方式に改まる可能性は否定できない。ただし、生きた言葉が死語・古語になるには長い時間がかかる。特に日常的な語彙の場合、簡単には変わってくれない。完全に置き換わるまでに、数百年から千年程度はかかるだろう。

一例を挙げる。「もつ煮は誰も頼んでないよ」と「もつ煮を頼んだ人は0人だ」という二文は、意味が同じであるし、文法的にも正しい表現だ。しかし、日本人としては、前者で表現する人が大半で、後者を選ぶ人は普通いない。英語では後者の表現が日常的だ。"Nobody ordered ‘Motsuni’ chitterlings." のように表現する。日本では学校教育として英語教育が広まっているが、近々前者が滅んで後者が広まるだろうか? 現時点ではその可能性は怪しい。

さて、英語ではなぜ十進法で統一した数え方をせず、十二進法を大事にするのか、という疑問がまだ残っている。

十二進法は12ごとに繰り上がる数の数え方だ。

十二進法 2.2 単位系(Wikipedia)

12で区切ると適切・便利なものが、自然現象や数学の分野にしばしば見られる。上掲のページに詳しいが「現在、十二進法は専ら単位系で使われている」「1年がほぼ12ヶ月である」「黄道十二宮」「中国の十二支」「12 は 2×2×3 であり、約数が 1, 2, 3, 4, 6, 12 の 6 個と多く、分割に便利である」との説明がある。

十二支は中国で戦国時代から(紀元前403-紀元前221年)、天文学のために使われていたという。中国語の数体系は純粋な十進法だが、十二進法を文明から完全に排除することはできなかった。排除できなかったからこそ、日本、朝鮮、ベトナム(いわゆる漢字文化圏)にも十二支が伝わっている。この理由はおそらく「1年が12ヶ月である」という天文観測の事実にある。

朔望月(Wikipedia)

太陰暦(Wikipedia)

太陰太陽暦(Wikipedia)

上掲のWikipedia記事3件に詳しいが、月の満ち欠けの一周期を「朔望月」という。朔望月は暦の「月」の起源であり、1年の中には12から13の朔望月がある。なお、12朔望月は354日であり、地球の公転周期である365日よりも少ない。このままでは月の満ち欠けによるおよその1年(純粋な太陰暦での1年)と季節の循環による1年(地球の公転周期、あるいは太陽暦での1年)とが次第にずれていくため、調整が必要になる。3年に1度、13回目の朔望月(閏月)を挿入して、354日周期の1年と365日周期の1年との日数差を解消する。これが太陰太陽暦だ。

ヒマラヤの満月と十二進法(NUE 11号-1、追手門学院大学教授 西川善朗)

「万物に宇宙を見いだせる」という宇宙観がある。インド哲学でこの傾向が顕著だという。上掲の記事では、指の節を使って12まで数える方法がネパールの少数民族「シェルパ」にあることを紹介している。なお、シェルパの言語「シェルパ語」はチベット語の方言の一つだという。チベット語はシナ・チベット語族に属しており、インド・ヨーロッパ語族に属していない。ただし、シェルパにはネパール語や英語(いずれもインド・ヨーロッパ語族に属する)に通じる者が少なくない。指の節を使った十二進法は、シェルパがインド・ヨーロッパ語族の風習を取り入れたか、あるいはその逆が考えられる。

指の節の数が12であることと、1年の月数が12であることから、人体と宇宙とに共通性を感じ、十二進法に重要性を認める民族が発生する、というのは無理な考えではないだろう。インド・ヨーロッパ語族が始めたのか、シェルパが始めたのか、成り立ちは分からないが、ともかくインド周辺の地域(インド・ヨーロッパ語族の少なくとも一派)では指の節を数える十二進法が広まっている。現代のインドでも、指の節を使って12まで数える教育を幼稚園で実施しているからだ。以下のページに実例がある。

インド式算数の基本!?「インド式数え方」(MAMApicks 2012/10/31 12:30)

太古の英語話者も以上のような宇宙観を持っており、そのため十二進法を重視した数体系にこだわりがあったのだろうと私は推測する。英語はゲルマン語派に属する言語で、ゲルマン語派はインド・ヨーロッパ語族の一派だからだ。現代のヨーロッパ人は「指の数」方式の数え上げが大勢で、「指の節」方式はない。ただし、文字の記録がないほど昔の時代は「指の節」方式だったのかもしれない。

<問2への回答>
問2、13から19までが thirteen から nineteen といった teen の語尾がつくのはなぜか。ten three, ten nine とするか、あるいは eleven, twelve にならって three-ven, nine-ven になっても意味が通じるのではないか。

問2は問1と表裏を成すような問題になる。問1への回答が問2にも流用できるので、まず問1への回答をご覧頂きたい。

問1への回答で紹介した Wikipedia 記事を再度引用する。「(英語をはじめ、ゲルマン語派の)11, 12 の数詞の語源はそれぞれ 1 余り、2 余りを意味する *ainlif, *twalif であり、十二進法ではなく十進法に基づく数詞だが、13 以上と構成が異なるのを十二進法の影響とする説がある」。

英語話者(およびゲルマン語派の言語全体)では、十二進法を重視する数体系を作りたかった。そのため、11、12と13以降を意図的に異なる語構成にしたのではないか。

three-ven, nine-ven とすると「3余り」「9余り」になる。11から19までを「n余り」の形態にすると、本当に11から19までの数なのか判然としない。意地悪く見れば「100と3余り」「100と9余り」と言えないこともない。文脈によっては誤解されうるだろう。10を意味する teen を付ければ、曖昧さは軽減される(ten ではなく teen を使い、さらに「1の位+10の位」の構成にする理由は問3への回答で詳しく述べる)。

ten three, ten nine でも意味が通じるという主張は、理論上はまったくそのとおりだ。長い時間で考えれば純粋な十進法に変わっていくだろうが、生きた言葉が死語になるには相当な時間が必要なので、今後数百年から千年程度を要するだろう。

<問3への回答>
問3、13から19までが thirteen から nineteen といった「1の位+10の位」の順番になり、ten three, ten nine や teen three, teen nine といった「10の位+1の位」の順番にならないのはなぜか。

昔のゲルマン語派やインド・ヨーロッパ語族の人々にとっては「1の位+10の位」方式が合理的だったからだと推測する。

ヒンディー語とサンスクリット語の数体系について考察したい。

上掲のページは以前書いた拙稿だ。一部を抜粋する。
日本人は数を数えるとき、「1、2、3、・・・11、12、13、・・・111、112、113、・・・」と唱えるのが普通だ。外国でも概ね同じだろう。自然数は昇順で数えるのが慣習となっている。
自然数の全体については昇順で数えるのが好ましい。しかし、これを認めた上で個々の数に注目しよう。「11、12、13」の唱え方を分解すると「じゅう、いち」「じゅう、に」「じゅう、さん」になる。より大きい数の「じゅう」が先で、より小さい数の「いち」「に」「さん」が後になっている。つまり、個々の数の唱え方は「降順」になっている。自然数の全体を昇順で唱えていながら、個々の数を降順で唱えるのは不統一だ。これは不統一ゆえに非論理的であり、「一の位+十の位+百の位」方式が論理的で一貫している。
以上を述べると「馬鹿を言うな。個々の数を昇順で言ったら、数が区別できなくなるではないか」という反論が出るだろう。11と10、12と20、13と30はそれぞれ「いち、じゅう」「に、じゅう」「さん、じゅう」という呼び名になってしまい、区別ができない。
しかし、これは回避が可能だ。10の呼び名を2通り作ればよい。11、12、13はそれぞれ「いち、とお」「に、とお」「さん、とお」、10、20、30はそれぞれ「とお」「に、じゅう」「さん、じゅう」とすれば誤解はなくなるだろう。
17、18、19はそれぞれ「なな、とお」、「はち、とお」、「きゅう、とお」、70、80、90はそれぞれ「なな、じゅう」「はち、じゅう」「きゅう、じゅう」となる。
69、79、89はそれぞれ「きゅう、ろくじゅう」「きゅう、ななじゅう」「きゅう、はちじゅう」、96、97、98はそれぞれ「ろく、きゅうじゅう」「なな、きゅうじゅう」「はち、きゅうじゅう」となる。1から99まではこれで数詞の重複がなくなる。
(途中略)「一の位+十の位+百の位」方式が合理的だとする主張には、もう一つの根拠を挙げることができる。それは「数詞の使用頻度順」に唱える方式であることだ。
日本人は多数の物を数えるとき「2の、4の、6の、8の、10」と唱えることがしばしばある。100個から1000個までは、この唱え方を繰り返すだろう。10000個を越えても、人間を複数集めて同じことをするのではないか。「一の位の数」はなにかと頻繁に使う。物を数えることに限れば「十の位の数」や「百の位の数」よりも使用頻度が高いだろう。
以上のような論理、あるいは語感が働いたために、thirteen, fourteen, ... nineteen のような「1の位+10の位」方式の数詞が発明されたのだろう。

古高ドイツ語における数詞21〜99−他の古ゲルマン諸語との比較において− 飯嶋一泰(早稲田大学リポジトリ)

上掲の文書に詳しいが、古英語(5世紀半ばから12世紀を中心にイングランドで使われた、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派に属し、現代英語の祖語にあたる言語。参考: Wikipedia 「古英語」)では21から99までも「1の位+10の位」方式で言うことが主流だった。インド・ヨーロッパ語族の各種古典語も同様だったという。

オランダ語の数体系(「思索の遊び場」中記事)

ドイツ語の数体系(「思索の遊び場」中記事)

デンマーク語の数体系(「思索の遊び場」中記事)

なお、ゲルマン語派の言語には現代でも、11から99まで「1の位+10の位」方式を保っているものがある。オランダ語、ドイツ語、デンマーク語が該当する言語だ。詳細は上掲の3件のページで確認できる。

起縁−信州大学小教材カタログ 英語史 語形その2 数詞(信州大学 人文学部 橋本功)

また、上掲の文書によると、英語の数体系はゲルマン語派古来の「1の位+10の位」方式から、フランス語方式の「10の位+1の位」方式に移行していき(中世イギリスで起こったノルマン・コンクエスト(ノルマン人の征服)によって、英語にはフランス語の語彙・文法が多数流入していった)、欽定訳聖書(1611年刊行の英訳聖書。この時代の英語を初期近代英語と言い、現代英語とだいたい同じ言語になっている)が「10の位+1の位」方式を多用したことによって一般的になったようだ。

しかし、13〜19については「1の位+10の位」方式がそのまま残った。フランス語も11から16までに「1の位+10の位」方式が残っているため、英語はこれに習ったのかもしれないが、ともかく部分的に「1の位+10の位」方式が残っている。意図的に残した可能性が高いが、その理由を説明できる史実は見つけられていない。しかし、私なりに可能性を挙げたい。それは二十進法を重視したからだ。

十二進法 2.1 数詞(Wikipedia)

またまた Wikiepedia 記事の「十二進法」に登場してもらう。「12 は 2×2×3 であり、約数が 1, 2, 3, 4, 6, 12 の 6 個と多く、分割に便利である」。

20についても、12をまねて「20 は 2×2×5 であり、約数が 1, 2, 4, 5, 10, 20 の 6 個と多く、分割に便利である」と言える。

12と20の共通の約数は2と4だ。また、12にしかない約数は3と6で、20にしかない約数は5と10だ。両者を併用すれば、1, 2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 20 での割り算が簡単にできる。また、12と20の最小公倍数は60だ(2×2×3×5)。60の約数は 1, 2, 3, 4, 5, 6, 10, 12, 15, 20, 30, 60 だ。60の倍数の360 は、2×2×2×3×3×5 に素因数分解できるので、360の約数は 1, 2, 3, 4, 5, 6, 8, 9, 10, 12, 15, 18, 20, 24, 30, 36, 40, 45, 60, 72, 90, 120, 180, 360 だ。

12, 20, 60, 360 を円などの図形に表したり、割り算の結果を表に整理すれば、1桁の数での割り算がほぼ網羅できる。以上の4つの数の約数には、いずれも2と4が含まれている。割り算の初歩と言える2分割、4分割を使える数は使い勝手がよい。唯一、7で割ることができないが、これを解決するために、7日を1周期とする1週間を設定すれば、7での割り算も身近なものになるだろう。カレンダーでは「7の倍数日」が縦一列に並ぶからだ。28は7で2分割や4分割ができる。28が重要だと覚えるだけでも利便性は高い。

余談だが、十二進法や二十進法を補完するものとして、十六進法を設定してもよい。16の約数は2、4、8、16で、階層的な2分割ができる。更に細かく64分割や256分割をすると、財産の配分が簡単にできる。太古、貨幣が発明される前は金銀の重さを計って分け与えたというので、十六進法も重要だったのではないか。事実、フランス語をはじめとするロマンス諸語では、11から19までの数詞に十六進法を重視したような特徴がある。

大きな数の割り算が素早くできるか否かは、文明の発展に直結する技術だろう。5749÷17を筆算で求めよ、と言われたら、大人もなかなか苦労するはずだ。小学校で出された計算ドリルの(特に割り算の)宿題が、1時間かけても終わらなくてうんざりした人は少なくあるまい。12, 20, 60, 360 を用いた割り算早見表を作れば、答と余りを秒速で求める古代のコンピュータが生まれる。また、度量衡の単位を 12, 20, 60, 360 に合わせると計算が簡単で都合がよい。

十二進法 2.2 単位系(Wikipedia)

二十進法 2.2 単位系(Wikipedia)

上掲の Wikipedia 記事2件では、個数、長さ、重さ、体積、貨幣などの各種単位に十二進法や二十進法が使われている旨の解説がある。計算の速さと簡単さを追求するためには、十二進法や二十進法が重要だったのではないか。

以上から、英語の13〜19については、二十進法を連想させるように古い語構成を残したのではないかと推測する。11〜19の語構成が特異になる現象は、インド・ヨーロッパ語族の他の言語にもしばしば見られる。

手指を使った数の数え方と、10進法、12進法、20進法について考察したい。

上掲のページは以前書いた拙稿だ。一部を抜粋する。
突然だが、ここで話題を20進法に移そう。「指の節」型の10進法では、片手で9までを数えた。ここで、10を数えるのに反対の手ではなく、人差し指を折り曲げたらどうか。小指から中指を再度使い、11から19までを数えられないだろうか。「指の節」型は片手での20進法にも使えそうだ。20になったらいよいよ片手に余るので、反対の手の節で20を数える。一方の手で1の位、もう一方の手で20の位を数え、両手を使い切ったとき、最大 20×20=400 までを数えることができる。
「指の節」型の数え方を工夫すると、片手で20まで数えることができる。親指で指の節を指しながら、「いち、に、さん、・・・」と唱えてみよう。「とお」になったら人差し指を折り曲げる。「じゅういち、じゅうに、じゅうさん、・・・」と唱えると、先ほど数えた「いち、に、さん、・・・」を再びなぞって指の節を指す動きが繰り返される。「にじゅう」になったら親指で折り曲げた人差し指を指せばよい。

ここで、英語風の唱え方も試してみよう。「いち、に、さん、・・・」から「とお」までは先ほどと同じでよい。この後を「さらひと(更に一つ)、さらふた(更に二つ)、さんととお、よんととお、ごととお、・・・、にじゅう」と唱えてほしい。十進法、十二進法、二十進法の3つが渾然一体としており、怪しい感じがするのだが、指の節を指すことで有無を言わせぬ説得をされた感じがしないだろうか。ゲルマン語派の人々は、このようにして数を覚えたのかもしれない。

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