お薦めの本

最終更新日: 2008/10/27
作成者:しんどうまさゆき

ホーム > お薦めの本 >

カウンセリング心理学入門
(國分康孝著、PHP研究所刊)

日本で有名なカウンセリングの教授、國分康孝氏が語る、 カウンセリング心理学の入門書。

カウンセリングは、現代社会のいろいろなところで使われている。 職場で部下を指導する方法、学校で子どもの心を育てる方法 (心を育てるとは傲慢だ、と言われるかもしれない。 しかし、心は人が影響を与えて育てるものだ)、 家庭で結婚を育てる方法、人間関係を育てる方法、 といったものがある。上記のようなカウンセリングの用途を、 國分氏が明快に解説する。

まずは、著書をお読みいただきたい。 以下は、私の感想だ。ただ、熱が入ってしまい、 だいぶん長くなってしまった。 いろいろな視点からの解釈を行いたい方は 何か参考になるだろう。

「プロローグ」の、著者がなぜカウンセリング心理学の道に進んだかを 述べるシーンがおもしろい。

なぜ教師を志したのか。陸軍幼年学校の教育が私には強烈にプラスの影響を 与えたからである。14歳の僅か5ヶ月の教育を67歳の今でも私は懐かしく思っている。 ひとことで言えば、それは人間教育の学校であった。 (中略)わたしは確かに歴史音痴である。狭い視野でしか陸幼教育を 評価していないとは思う。にもかかわらずこの陸幼教育は、 私がカウンセリング心理学にたどりつくかなり大きな原動力に なっているように思われる。(中略)陸幼教育とカウンセリング 心理学が私には酷似していると思えるのである。

(中略)いくつかの例を挙げて説明したい。 ある夕食時にルーズベルト大統領の死をラジオが放送した。 生徒は拍手した。その直後指導教官が「敵国であっても人の死に 対しては弔意を表するものである。拍手するようないやしい人間で あってはならぬ」と諭した。

行軍中も水筒の水を飲んではならぬという教官の指示に生徒が 質問した。飲んではならない水筒をなぜ持ち歩くのか、と。 教官曰く「敵の一般市民が水を所望したときや自分の部下が 末期の水を求めたときに与える水である」。

初めて外出する前夜、次のようなガイダンスがあった。 「年長の部下が敬礼するのは上官がえらいからではなく、 星の数(階級・役割)に敬礼しているのだ。上官が部下よりも 人間としてすぐれているからではない。これを忘れると 傲慢になるから注意せよ」。

私の教官が連隊旗手の頃、演習を見ている連隊長が泣いていた。 どうされたのですかときいたところ、「あの兵隊たちが泥にまみれた まま青春時代を失っていくのかと思うとかわいそうだ。召集令状が 来なければ今頃、青春時代を謳歌していたであろうに」と。 私の教官はこの体験談のしめくくりに、「階級がいくら上になっても、 人間としての感情を持ち続け、これを表現する勇気のある人間になれ」と諭した。

こういう教育を受けた私は後年、ペスタロッチの「玉座の上にあっても 茅ぶきの家にあっても等しき人間、これぞ真の人間」という思想や 「どんな人に対しても無条件に好意をもって対せよ」という カウンセリングの提唱になじむことができた。(pp.14-16)

旧日本軍が存在したころには「特高警察」や「憲兵」などによる暴行、 人権侵害があったが、その一方でこのような教育もあったのが驚きだ。 時代・国家を超えた正義感、倫理観として通用するものではないかと思う。 バランスのとれた歴史の勉強にもなっていて、おもしろい。

私は高等師範から東京教育大学に入るとき教育学を選んだ。 自然科学の色彩の強い心理学より人間学の色彩の強い教育学の方が 教師になった場合、役に立つだろうと思ったからである。

ところが教育学というのは思想を語るだけで、友だちのいない生徒を どう助けるか、親としっくりいかない子どもにどう対応するかといった 人生の具体的な問題に処方箋が出せるものではないらしい、 ということが分かってきた。こんな教育学をいくら勉強したところで 教師になってから役立つことはないだろうと思うようになった。

思いあまって教育学の研究室のドアをノックした。その教授はこう言った。 「学問というのは役に立つとか立たないとかを考えるべきものではない。 ただひたすらに学問をすればよいのだ」と。

私は役に立たないものをただひたすら勉強する気にはなれなかった。 今思うにこの頃から私には「役に立つ知識こそ真の知識である」という プラグマティズムの哲学と同じ思いがあったのだろう。つまりアカデミズムには なじめない私であった。アカデミズムとは具体的な問題解決志向ではなく、 一般的・原理的な理論構成をめざす研究姿勢のことである。(pp.18-19)

私が教員養成課程にいたころ(1994-1998)も、教育学をはじめ、 多くの授業はアカデミズムだった。ノウハウの修得は独学しかない、と感じた。 これでは教師の力不足や、力量のバラツキがマスコミに糾弾されてもしかたない。 ただ、私が受けた「教育学」(明石要一教授)は、 雑談のような質問を次々と学生にぶつけながらも、教師のノウハウを教える、 という型破りな授業だったし、「道徳教育」(諸富祥彦教授)は、 「『ないたあかおに』の赤鬼は、青鬼がどこかへ行方をくらます前に、 何か手をうつべきだったのではないか?」と生徒に問う道徳授業を 提案するなど、プラグマティズムだった(諸富教授は國分教授の門下生)。 教員志望の大学受験生は「カウンセリング心理学入門」を読むとよい。 教員養成学部のイメージが事実に即したものになるし、 何を勉強すべきかがある程度見えてくるからだ。

アメリカ留学の初期に受けた質問が3つある。 この3つの質問が私のキャリアづくりに大きな影響を与えた。

ひとつは「どんな問題をかかえてアメリカに来たか」であった。 「私は自分自身が何者であるかわからないのが問題です」と即座に答えた。 今でもわれながら適切な表現だったと思うが、I can't define myself. と私は答えたのである。意味はこうである。「私は自分が精神分析者なのか ソーシャル・ワーカーなのかカウンセラーなのか、わけがわからないまま アメリカにやってきたのです。それが悩みです」。

教授はすぐこう応じた。 「それはプロフェッショナル・アイデンティティの問題だ。 誰もがいちどは遭遇する問題だ」と。私はこう思った。 自分のアイデンティティを留学中に定めればそれだけでも 留学した甲斐がある。これが私のテーマである。(pp.24-25)

就職試験で「この会社で、あなたは何をしたいのか?」と質問することが多い。 しかし、私はあほくさい感じしか覚えなかった。 問題意識が生じるのは30歳以降だ、と「『超』整理法」の野口悠紀雄氏は言っている。 仕事を与えられてから「この会社でこれこれをしたい」 という願望が生まれてくることが多い。「何をしたいか分からない」 人間を排除する態度は、即戦力になる優秀な人間をふるい分けするには適当だろう。 ただし、これでは、質問に答えられない若者が常態的にフリーター化し、 高度な職業能力をつける機会が奪われることになる。 エリート対没落者の二階層社会を生み、階層が固定化されてゆく。 社会全体は沈滞化し、活力がなくなっていくだろう。 エリート選抜のみを行うのではなく、まずはこの仕事をやってみろ、 と訓練させて、全体の底上げを行うことも必要だ。

アメリカ留学の初期に受けた質問で私に影響を与えた第二の問いは、 「君は何を知っているか」というものであった。私は「精神分析!」 と答えた。「今までの日本人留学生で精神分析を知っている者は いなかった。ワンダフル!」とほめてくれた。日本の大学では 「はみ出し者」と評された私は、「私をはみ出し者と評した教授こそ、 アメリカの基準でいえばはみ出し者である」と思うようになった。 つまり私は自己肯定感をとり戻したのである。これはその後28年して 私が母校に教授として迎えられたときにそれを受ける決心をした 伏線になっている。かつては私をはみ出し者と評した文化に対峙して みたいという気概の源泉であった。(pp.25-26)

私は教員養成課程を出て、英語科教員免許も取ったが、教師になっていない。 英語を使う仕事にもついていない。高校時代のある知り合いは 「お前の進路は間違っている。英語を使う仕事につけ」と10年来言い続けている。 この稿を書いているとき(2003年)になって思考の整理ができてきたのだが、 私は教師のノウハウを持ち、英語が話せる人間でありながらも、 教師として自分の時間を費やさず、英語の専門職として自分の時間を費やず にいるほうが、能力を能率的に使えるように思う。 その理由は以下の一節を紹介してから述べたい。

さて、東京教育大学の教育学研究科で生活指導を専攻し修士号をとったが、 博士課程に入学できなかった私は、少年刑務所に無給のカウンセラーとして 出入りさせてもらった。(中略)メンバーの大半が年長者であったが 気合い負けせずに、精神分析的グループ・カウンセリングを行っていた。 この他に受刑者との個別面接も続けていた。

そのうち私は考えた。この調子で行くと人生で接触できる人間の数が 限られてしまう。いっそのこと、こういうカウンセリングの仕事をする人を 何百人と育てる方が私にとっては有意義ではないか、と。教師志望であった 私はそう考えた。(pp.23)

私は國分氏の上の主張に共感した。ある人間が教師になったとすると、 担当する中高生は、40人×40年=1,600人だ。 しかも、これはせいぜい県単位での数だ。 教育のノウハウは、人間の思考を180度転換させてしまうほど劇的だ。 (塾講師をやったとき、向山式算数・数学や、 3ラウンド・システムを実践して、私自身が驚いた。 また、増田式キーボード学習法には、学習者として驚愕した) せっかくのよいノウハウだから、広めるべきだ。 私個人ががんばっても、影響を与える人数が少なすぎる。 「教師個人のがんばり以外、子どもに影響は与えられない」と言う人もいるだろう。 しかし私はそういう考えが好かなかった。悠長すぎる。 私は、教師が頼りないならこっちから調べ上げるタイプだった。 また、教師によって授業の質が左右されるのはよくない、 よい教科書を読む方が、教育の質が平準化されて望ましい、と考えた。 よいノウハウを広く紹介して、多くの人に独学してもらうほうが、 パイを豪快にとれるし、私の手間がかからないし、 強制されて学習するわけでもないので、教師よりも有意義だと私は思った。 そのため、私は教員養成系大学から教師へ、とか、 英語を勉強したから通訳へ、という 単純明快な進路を捨てたことに何の疑問も感じない。 私のウェブサイトを手がかりに、かつての同士(大学の同期生など) や通りすがりの人が自分なりの研究をすすめてくれるほうが、 日本社会に大きな影響を与えるだろう。 私の地元、市原市で、最近(2003年)市議会議員選挙があった。 当選者は2,000〜4,000票程度の得票だった。 この桁数で、市の政治に影響を与えることができるわけだ。 ウェブサイトへのアクセス数がもしこの数だったら? しかも、読んでほしい本を知っている人は私だけではないはずだ。 「お薦めの本」のコーナーが多くの人に作られることは、 社会改革の要求を、草の根から無理なく進める一方法になるだろう。

アメリカ留学時代の初期に受けた第三の質問は、 「日本を出るときなんと言われたか」であった。 「日本人の代表のつもりで頑張ってこいと言われた」と私。 教授はゲラゲラ笑ってこう言った。 「僕は君が日本人かエチオピア人かは関心がない。 君がどんな人間かに関心がある」と。 これは私のパーソナル・アイデンティティを培うきっかけになった。

私はアメリカの大学院でカウンセリング心理学の知識を得たというよりは、 こういう分野でキャリアをつくっていくに当たっての基礎的な意識性を 育ててもらったという思いがつよい。技術教育ではなく人間教育 (ジェネリック・エジュケーション)を受けたという思いが強い。(pp.26-27)

上記の「留学時代」とは、博士課程である。 繰り返しになるが、博士課程の段階でなお人間教育を 行っているのが驚きだ。専門知識を教えないのかどうかは 定かでない。しかし、人間教育をずっとやってくれるのは たいへんありがたいことだと思う。日本の学校教育は、 教師が生徒を一人歩きさせるのが早すぎるのではないか、と思える。